相変わらず町家ブームが続いている。いや、町家がブームといわれて四、五年。京都人が町家の再生に乗り出して十年になるから、これはもう一過性の「ブーム」などではない。
が、町を歩けば、町家ウォッチングの観光客があちらこちらをそぞろ歩きして、町家レストラン、町家カフェは盛況。観光客にとって「町家」は寺社仏閣に肩を比するほどの人気で、もはや京都観光の新しい目玉、京都の新しい「ブランド」といった観がある。
もちろん九〇年代に始まった町家の再生、リニューアルは観光のためではない。住居として、あるいは工房として店舗として、老朽化した町家のリニューアルが行われたその背景には、その人それぞれ個別の動機、理由があるわけだが、大まかに言ってしまえば、「消えつつある伝統を今なくしてしまいたくない」というのが最大の動機だろう。
このことに対して、『京都の伝統的な建築など、お寺はん、神社、お茶屋、お茶室と、それこそ京都中になんぼでもあるやないか。そんなもののどこがめずらしいんや?』『べつに歴史的価値もない、古臭い、ただの町のしもた屋のいったいどこが貴重ですねん?』などとおっしゃる方々もいるが、それはまるでことの本質を理解していないと言うべきだろう。
名工による有名な寺社仏閣や茶室でなく、また記念館や博物館となるような名家旧家でなく、町の一住宅、一工房、一店舗であるところが今の町家人気の本質だ。町としてのたたずまいの美しさ、住居としての新鮮さ。それが町家に住む人の喜びであり、観光客にとっての大きな魅力なのだ。庶民の町の、庶民の家だ。
都は職人の町。今に残る市中の町名のなんと典雅なことか。 烏帽子屋町、扇屋町、帯屋町、織物屋町、鍵屋町、鍛冶屋町、金屋町、塗師屋町、指物屋町、珠数屋町、饅頭屋町、硯屋町、紋屋町・・。と数え上げたら限りがない。
京の伝統工芸は多くが町家でその創作が行われてきた。木、竹、紙、糸、布、土、金属を素材にして。
それぞれの仕事は高温多湿、冬は底冷えという京都の盆地気候の中で育まれるが、その仕事に適するように形成された住居兼職場が町家。
そして、町家自体もまたそんな伝統工芸のうちのひとつだったとも言える。町家を
建て、修繕したのは大工町の棟梁たち、職人たちだった。
そして、伝統工芸にとって、いま重要なのは多くの伝統工芸が町家の暮らしとともにあったということではないか。
柱、壁、屋根瓦などの基本部分はさておいて、まずは障子、襖、唐紙、欄間、床の間、畳などのインテリア。表庭、中庭、裏庭のエクステリア。湯飲み、茶碗、皿、箸、盆などの食器。それに晴着、普段着、帯、履物。さらに扇子に団扇から仏壇まで。
ケからハレまでの、暮らしにかかわるすべてのものが町家の空間にマッチするよう
に作られ、そしてそのようにして京の町家のような民家で日本の暮らしは続いてきた。生活の洋風化によって多くの伝統工芸が窮地に陥ったのは戦後まもなくという。アメリカナイズされた生活空間、西欧文化の台頭によって変化した生活感覚のもとではそれは避けようのないことだった。
が、時代はすでに変化し始めている。観光客たちの町家へのまなざしは憧れのそれ
であり、それはマンションや戸建てという彼ら自身の住環境への飽き足らなさの反映だ。
私たちが求めるのはニューヨーク風、ミラノ風、マドリッド風の暮らしではなく、日本の暮らしそのものなのだ。たとえそれがマンションでの暮らしであっても、そこに冴えた「和」の感覚を配置することがやすらぎや心地よい緊張をもたらすことを私たちはしっている。 |